イーロン・マスクの「この世はVRゲームである」について思うこと②
前回の記事で「この世はVRゲームである」ことについてイーロン・マスクさんの考えを詳しく書かせて頂きました。
今回は、僕の意見を述べさせて貰います。
僕は、こと「この世はVRゲームである」ということに賛成です。
自分が死んだら恐らく、
①VRシュミレーションゲームを作成した高知能宇宙人としての生活がまたスタートする
②テレビの電源を切ったように再度電源がつくまで何も無い状態
となると予想しています。
(できれば、①であって欲しいと願っています。
②は想像するだけで怖いので...(笑) )
ある自然ドキュメンタリー番組で、深海の魚や生物は高い水圧によって浮き袋が潰れないように、油が浮き袋の中に入っており浮き袋が潰れない様に自在に空気量の調節をしているという説明がありました。
これは、水圧の低い淡水魚では浮き袋の中に油など無いようです。
ここまで理にかなった仕組みが、ダーウィンの進化論の自然が時間をかけてそうさせたとして納得できるでしょうか。
自然界では私たちが「よくできてるなぁ」と唸るように理にかなっていることが沢山あると思います。
それらを実際に目にすると「もしかして、誰かがプログラムしたんじゃないかなぁ?」と
一瞬脳裏にチラつく程です。
ここでの僕の意見は単なる妄想、幻想にすぎませんが、
①ある高度な文明を持って、高知能を持った生物がいる。
②その文明では、VRゲーム(地球で言えばグラセフのようなシュミレーションゲーム)に興味関心が高い。
③その高知能生物がプログラムしたVRゲームこそ、私たちの世界であり、自我のある私たちは
実はVRゲームをプレイしている高知能生物なのである。
あるいは、高知能生物は作ったテレビゲームが
僕らの世界で、彼らは僕達を育成したり破壊したいりしながら様子を観察して楽しんでいる。
④私たち自身は、その高知能生物がプログラムしたコードを理解して、少しでもこの世界を自分たちにとって都合の良いものにしようと研究している。
判明しているプログラムとは「数学」のことであり、コードは「数式」のことである。
一見ぶっ飛んでいて狂っている様に思えますが、この世界の物理的現象や全てのモノやヒトは「数学」によって理論化可能です。
コンピュータは数学の二進法(0と1のコード)でできている、
イーロン・マスクさんの考えにますます賛同したくなります。
男のSFロマンを感じます〜(笑)